ペットショップ・るんるん

DIARY

題名:かんなの残したもの

2013年06月02日 by おかぴ

5月31日の日付変更0時ちょうど
愛犬かんなは永眠致しました。
見事な犬生でした。

8時間痙攣が続き、はじめはまた起き上がるよね、起き上がるよねと言っていましたが、死がだんだんと訪れていく事は時間と共に理解はできました。

8時間目を背ける事なく、最期の息を吸い、息が止まるまで隣にいられたという幸せな事ができました。

実は、わかってはいる。いなくなった、死んでしまった、お骨になって帰ってきた、さわれない、もうしてやることは何もない。
でも、実感がまるでない状態です。
かんちゃんが死んだんだよ?かんちゃんだよ?と自分に刷り込みをかけ続けますが、よく分かっていません。

かんちゃんと私は親友で同志みたいなものだったのか、姉妹だったのかな

火葬から帰り
何も迷う事もなく、他人事のように
すべてを片付けてしまっていました。涙が出ていたかも分かりません。

かんちゃんの物を今やらないと片付けられないはずだと、本能だったのかな。
それに、私自身大切な人や犬や猫などを、亡くした時に
思い出と戦っても勝ち目はない。
と、感情を抑える術を身に付けたのでしょうか。

ばんび、よっと、なごみ、ぱいん、かんな、きゅー、るんるんは東京から宮崎へ一緒に来てくれた。
ぱいん、かんな、きゅーは死にました。
でも、地下室での生活、繁殖犬として引退した後の生活、私と和田さんが、店を辞めた時のこいつらを考え
もう、私もそこに勤めるのが限界になっていたし、下の人間は育てたしすべての準備が整えて
引退を待ちました。

これだけの頭数と、ぱいん、かんなも含めて住める場所も金もなく
宮崎へ帰ろうと思いました。
ペットちゃんとしての生活は、どうだった?
誰からも可愛がられて、嬉しい楽しいだったやろ。

宮崎に帰ったら、ペットちゃんたちの物が何もない!食わせるものがまず無い!全部通販しましたが
最初はトリミングサロン規模を考えていたんですが、宮崎の子達はどうしてんの!?
と、事業計画と展開を即変更しました。和田さんという私の最も信頼し、犬猫に関してバカがつくほどの、トリミングや子犬たち、表に出て営業などしませんが、プロフェッショナルに、宮崎にみんなと帰ってみせをしたい。力を貸してほしいと頼み、本当に来てくれました。
助けてくれなかった事は、思えば一度もないです。たぶんこれからも。

二人で、私がハード、営業。和田さんがソフト、裏犬猫。
息の合う仕事で、るんるんを築き上げていけました。
この犬たち猫たちがいなかったら、出会わなければ
今ここにいないし、みなさんとお子に出会い笑う事もなかった。
他の引退がまだ先の子達が、最後かんなを連れていく時に私を見ていた顔が忘れられず、それはもう、思い出さずにしようと話をしています。
和田さんが14日にかんちゃんに会いに来てくれる事になっていました。
休みをとってくれて、行けるからね。と連絡が来たときは泣きました。
でもかんちゃんには会えなかった、まにあわなかった。
悔しいけど、他に待ってるやつらが山ほどいるから、みんなよろこぶ。
かんちゃんが呼んでくれたおかげだよ。

かんなの存在は大きく
空気みたいにお互いぽけーっと過ごしてました。
末期ガン、手の施しようがないと言われた時も、他人事のようで
かんなは治療や延命はせず、いつも通りの生活を送りながら、死に逝きました。
後悔はありません。

家から火葬へ行く前には、いつもの赤いパーカーとボーダーの首輪、のびのびリードをつけて、普通に出かける準備をしてました。
時間になると、かんちゃんいこかぁとだきかかえ様としたら、抱けませんでした。
行きたくない行きたくない!!イヤダイヤダ!!と、しばらくしゃがみ込んでしまいましたが、家を一周し、かんちゃんの店に連れていき、みんなにいってくるわぁと言い。
いつものるんるん号の後ろに乗せ、まだ行きたくないイヤダイヤダとだだをこねながら、かんなを連れた最後のドライブでした。
かんなをのせているときは、注意して運転する癖があるので、行きは時間がかかった様ですが、帰りはエンジンがきしむくらい早かったそうです。

支離滅裂ですが
かんちゃん、いきました。
たくさんの人を呼び、ワイワイと過ごしながらお通夜をし、立派に帰ってきました。

ありがとうございました。ありがとうございました。

それから、かんなは7人兄弟で生まれました。
今、7名の仔猫が来てます。
先日の乳飲み子たち


このチビは飼い主さん決まったんですけど。


立派に育ってます。この子もお話来ています。

それから。
かんなが死んだ日の昼。
おっさんがくつ箱段ボールにガムテープを巻き
はい、いかにも気持ちわるいものですね。丸出しで
12時までに保健所に行く
店長にはこんな仕事してるのに、引き取らんとかなど、書ききれないほど次元の違う話を、永遠し
店長もよく我慢した。
私は、猫を見せろ
一匹だけか
他は4ついると言う。捕まり次第つれていく。と。
あんた、保健所が金を取るとか言ってたけどね、もう耐え難い苦痛だわ、私達。

30秒で決めなければ行けない。

くつ箱は引き取る。
あとの4匹は、捕獲器をかしてやるから
3日以内に連れてこい。
100%入るから。

じゃ今日の夜仕掛けるというので
帰っていますぐ仕掛けろ!
バカか夜一晩中捕獲器の中においとく気が。鬼だな、怖い。人間て愚かで浅はかで、稚拙に恫喝を恥ずかしげもなくできるものなんですねぇ。

かんなは耐えて耐え忍んで声すら出さんかった。

仔猫をいとも簡単に即日ガス殺する、この人間。
かんなの死と重なったため、持っていた私物の入れ物がビリビリに破けてました。
襲いかかるのをがまんしましたかね。

それから、おっさんが饒舌に一匹いなくなったからか、はなしだし。やはり
餌をやっていた猫が産んだ。
バカかアホ
産むに決まってるやろ、で仔猫らは殺処分か。
発想と言動に貧血で倒れそうになった、早くるんるんから出ていけ!と、あたし時間ないから、早く捕まえて連れてこい。3日しか待たない。

と告げ、かんなの所に戻りました。くつ箱の中にはチビ。箱を開けるときはなんかもう、あんな人間いやになって、何でこんなことができるんだ、いつまでこんなことが続くんだと、悔しくて泣きました。

3日と言いました。保健所に連れていくという脅しの仕返しだ。
100%置けば入るから、おっさんがちゃんとサボらず仕掛ければ、今日明日には全員そろうとわかってましたから。案の定、夕方には全員そろい。
帰りは、これでよく寝れるわーとか、自分がものすごくいいことをしたように語り、最後は捕獲器の中でパニクって怯える仔猫を写メったらしいです。
いちいち、バカにキレても時間の無駄だし、仔猫たちはもう大丈夫なんだから、バイバーイでいいかと思いますが。あまりの卑劣、浅はか、稚拙、言動、態度
そして、かんなの死。
で頭がおかしくなりそうでした。
仔猫たちはもう大丈夫だよ、安心しないね。

実はかんちゃんの遺体の、腫瘍がつぶれてぐちゃぐちゃになっている所に、絆創膏をつけていました。
かんなにみんなが会いに来てくれたときに、ワイワイしてて、あたしが何気なく、猫ちゃんのシールを5枚貼ったんです。

そしたら、昼から、5匹来ちゃいました。仔猫。

るんるんのトリマーだった長友さんも、虫の知らせか、かんちゃんはどうかなと思って来てくれて。最後のお別れをしてくれました。うちの姉も私に電話をかけてくることはないのですが、お母さんが携帯でないけど、とかけてきて。そして、中村さんも駆けつけてくれ、あっこねぇファミも来ていただいて、お花を頂きました。本当にありがとうございます。ありがとう。
かんな、呼びました。ほんとにもう。。

まだ野良ちゃんでこわがってますが

かんな、早いよ(笑)何かかんちゃんらしいよ
ありがとう。

全員で7人だよ。かんちゃんも7人の赤ちゃんだったんだね。
もしかしたら、かんちゃんの7人兄弟、かんちゃんが最後でみんな天国にいったのかなあ。

かんちゃん、ありがとう。かんちゃんが長くないとわかった時に、かんちゃんが死んだその日に。呼んだんだ。
かんちゃんのおかげで、みんな助かったよ。

こんな顔して

おかぴい、よろしくね( ^∀^)
かな

やはり、最期に残るものは
愛です。

あたしからの愛とありがとう
かんなからの愛とありがとう
みんなからの愛とありがとう
言い足りなかったお礼を逝く前にちゃんと話しました。

誰かを愛する、それはとても幸せなことであるけれど、とても厳しいことでもあるのだなと。
寛容に親切に優しく
そして、苦しくても耐え忍んで
支えあった最期でした。