ペットショップ・るんるん

DIARY

題名:~わんことくらす~

2018年03月05日 by おかぴ

こんばんは。お疲れさまです。

3月13日(火曜日)13:00~ 第一回 「わんことくらす」の開催のお知らせです(^-^)

ペットショップるんるん初代ファミリー代表、はなこのママこと、前崎さまよりご提案と企画を頂いて、このようなお気持ちのこもったチラシまでご用意頂き、るんるんにてお話会をすることになりました。

第一回目で平日開催ではありますが、ぜひ、お日にちお時間が合いましたらお気軽にご参加ください(^-^)

私もなかなか、みなさまと集まりお話する機会がないことが多いので、とても楽しみにしております!

はなこのママのあたたかいメッセージのチラシはお店にありますので(^-^)

_20180305_005733

はなこのママのこのチラシを受け取って拝見した時、朝の作業前だったのですが、ボロボロ涙が出て、みんながバタバタ作業しててくれてばれずによかったと思いました。

はなこのママの言葉、些細なことでも、知識とかそんな事があるわけでもないけど、ただるんるんで知り合うことができたお友達とお話できたら、きっと心が、体がかるくなるって。

実は、ずっとまともに日記も書かず、というか「書けずに」いました。

そうなんですよ、心も体もずっと重かったんです。辛いです、悲しいです、さみしいです。

今私は、私の人生を、私の持つすべてを、ばんびに捧げ尽くしている所です。

ばんびは、私のパピヨンです。3月31日で19歳になります。

なれるでしょうか、1分1秒そばにいたい、私にできることすべてを注いでいる所です。

また心と体に余裕ができ振り返ったりすることが出来る時が来たら、ばんびという犬、ばんびと私の歴史を書かせてもらえたらとは思っています。

私の犬は10、猫10、8割が老いと病を迎え、体にハンデがある者もいます。

必ず、どの飼い主にでも来る、我が子の老いや病。

これだけは生きているのですから、抗いようはない。生まれたら死ぬんです。生老病死、しかもそれが当たり前だけど犬猫は早い。

 

もう多くのるんるんのファミリーのご家族は、そこに入り、まさに私と同じであったり。

だから、書けなかった。みなさんのお話を聞いているし、実際に亡くなった子も重なったり。

だから、私が、何か余計なことで、辛さや悲しみを助長するようなことを書いたらと思うと、その子たちやご家族の事を思い出したり考えたりしたら悲しくて寂しくて、何か無力で、書いては消し書いては消し。

 

老若男女の飼い主さんが読んでくださるので、だからこの部分だけはとても難しかった。

はなこのママからお話をもらった時も、今ねばんびのことがあるからあたしなんもようせんからごめんねと、企画やチラシまでもママにしてもらって、情けなかった。

本来ならば、私が先陣を切ってこのような場や提案をして、私の力をお貸しすべき所だったんです。

 

ばんびだけではなく、これまで多くの愛犬、愛猫を見送ってきました。

何があってもどんなことが起こっても、毎回毎回大騒ぎしても、一度たりとも逃げず、投げ出さず、私のすべてをかけて旅立たせてきました。

なんて偉そうにですよ、何度も見送っただの、経験とか知識とか言ってますけどね私、ぜんっぜんダメですよ、ほんっとに毎回毎回ダメ、何ひとつ自分でできたことはないですよ、ひとりで成したことなんてひとつもない、欠片もないわ。

どれだけ多くの人に支えられて来た事か、これまでも、今もまさにそう。

店長、はまちゃん、いのちゃん、せおちゃん、いとー、お父さんお母さんお姉ちゃん、先生方、友達、そして犬たち猫たち。

それに加え、私にはお客様までも支えになってくださっている。これまでもどれだけみなさんにお世話になり、お仕事をさせて頂き、生きてくることができたか

どんだけ私は人に恵まれ犬猫に恵まれ生きているのか、その素晴らしさが人としてきちんと理解しわかってきた今、みなさん、みんなへ感謝と敬意を深く持つことができるようになりました。

 

ばんびの話が持ち出せたきっかけをくれたのも、このママのメッセージのチラシのおかげです。しれっと私も参加しますしね。笑

でも、私にしかできないこと、飼い主にしかできないこともある、飼い主にしかわからぬこともある。

だから、とても有意義なお話会になるといいなと思っています。

しれっと参加できるというのも、それもばんびのおかげ。

 

お話会に参加するのはムリだと思ってました、たとえ参加しても、怪談話の数々にしかならんかったやろ。

ばんびは、このままゆっくりとゆっくりと綱渡り(院長がそう表現されて、ほんとそうだと思ってます)で、誰からも拍手喝采でゴールで迎えられるんだと思ってます。

その綱を私がしっかり握って支えています、なんとかなんとか揺らがないよう落ちてしまわぬよう。

 

私の犬の中で老いと病ではなく、純粋に老い「老衰」で死なせるのは、そう死んでくれるのはばんびが初めてです。

私がばんびと出会った時にはばんびはもうこの業界で働いていましたし、お店の犬と従業員として会社にともに貢献した戦友でもあり

繁殖リタイア犬として正式に自分の犬になったのも、宮崎に帰ってくるすぐ前だから6歳くらい。

だから知らないんですよね、ばんびがどんな子犬だったとか、どんな育ちをしたとか、だれが名前をつけたとか(もちろん、他にもそういう子ばかりが多いけどうちは、犬も猫も)

私、ばんびを今育ててるんです。

介護とか看取りって感じではない、乳飲み子や子犬を育てている時と同じ気持ちになります。

それがばんびだからなおさらそういう気持ちになるんだと思うし、手を貸すことはほんとに赤子たちと同じようなことしかしてないしあたし。

でも、時間がないから、もうほんとに時間がないから、ただ自分で食べた!自分で座った、立った!おしっこ行った!お水飲みに行けた!とか、こんなね、ほんっとにこれまで当たり前で当たり前すぎた、それらひとつひとつ全てが嬉しいんです。

時間がなくなったことと、できなくなってしまったことに嘆いている場合じゃないかなって。

泣けちゃうんです、ばんびが立った歩いた飲んだ食べたおしっこしたうんちしたスヤスヤ寝たって事ができた昨日と今日に。

そして、願うんですよ、昨日と今日と同じであろう明日が来るのを、毎日、半日、一分一秒。

 

さすがです、すごいですばんびは。ここまできて、また私にね、教えてくれてるんですよ、山ほど。

「老い」はですよ、育てるものなんだと教わりました。

結果、ばんびはここまで奇跡のような天の計らいを受けているけれど、ずっと育ててきましたから、老いていくばんびを。

そして、今、華々しく自分の足で立ち、花道を歩いているばんびのそばにいられるこの誇らしさってか、もう比喩のしようがない。

だから、大切な大切なファミリーのみんなも、そうやって少しずつ老いと向き合うとか病を知るとか、そういう新しい子育てのような感じでゆっくりゆっくりいつもどおりに楽しくてうれしくて可愛くてって、そんな時間を家族のみんなと過ごして欲しい。

どれほどありがたいか、どれほどよろこばしいか、いつも通りってこと、朝が来る、明日が来るってこと、奇跡ですよね。

 

_20180227_001636

2018030501013700

でわまた。